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映画「i -新聞記者ドキュメント-」

 「主権者である国民の知る権利を代行する新聞記者は、現実政治の内奥に肉迫し、隠蔽(いんぺい)された真実を探知し、国民の前に明らかにしなければならない」
 新聞記者の使命について、閨秀(けいしゅう)作家・山崎豊子著『運命の人』から引いた。小説は沖縄返還協定時の外務省機密漏えい事件が下敷き。M新聞の敏腕記者が、日米間の機密文書を不倫相手から入手し表面化した疑いで、逮捕される。引用文は、初公判で記者の弁護団が言い放った意見陳述の一節だ。
 小説の舞台の1970年代、新聞は第4の権力としての機能を果たしていた。国家の不正にペンで立ち向かう記者の矜持(きょうじ)は誇り高い。が、同時に大手新聞に陰りも。最高裁は、記者に有罪判決を下す。敗訴で日本が米軍用地の復元補償費400万㌦を肩代わりした国家の隠蔽工作は、長く闇に葬られることになる。
 漏えい事件発覚から約半世紀、ネットの普及で、新聞の権威が衰退する中、注目の女性記者がいる。本作は、東京新聞社会部遊軍の望月衣塑子記者に焦点を絞る。きゃしゃな体に反し、肝が据わっている。記者会見で菅義偉内閣官房長官にしつこく質問する度胸はなかなかだ。圧倒的な行動力と鋭利なペンで、森友・加計学園問題など安倍首相のお友達が絡む社会の闇を切り裂く。まさに「その女、全身ジャーナリスト」である。
 取材の根幹には国民の素朴な疑問に国家権力から回答を出させるという強い信念がある。「国民の知る権利を代行する記者」として当然の矜持だが、彼女が異端に映るのは今の報道機関が権力に対して弱腰の証左なのではないか。
 しかし、本作はドキュメントと銘打ちながら演出の過剰が否めない。望月記者と菅長官の対決戯画は、正義と不義を安直に二極化し多分に悪意を感じる。森達也監督のドキュメンタリストとしての立場は公平中立とは言いがたい。
 歴史の真実は、後世になって明らかになる。小説の機密漏えい事件の取材しかり、望月記者の仕事しかり。ただ一つ確実に言えるのは、私たち新聞記者が時の為政者を恐れず、真実に迫る取材を続けることだ。民主主義を保障する言論の自由と常に搾取される弱い国民のために-。

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